ひだっちブログ › ユッタイクワッタイのてくてく旅 › 2011年01月11日
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2011年01月11日
別れ
一通、寒中見舞いが届いていた
読む前になんでか…、ぴん ときた
何回も通ってくださったお客様の奥様から
昨年、亡くなった
とのこと
ユッタイクワッタイに通ってくださっていた頃、
既にステージ4で
大変な苦痛をともなう治療、闘病中で
体は痩せ干そっていらした
余命宣告された
または闘病中 と、いう方のご利用がとても多い年があった
そんなお客様に触れさせていただく度、
生きたいと思う人間の強さや、生死について
考えさせられた
同時に…、自分の弱さを痛感したり
生きていく上で、自分に与えられている役割って…とか、生きる意味とか…考えさせられた
まだ…、分からないことだらけやけど
死も生の一部
生まれたらそこに向かっていく
死しても、決して 無 ではない
亡くなっても、無くならない
何かを残してくれている
ある時から、私は死についてそう感じるようになった
仕事を通して、数々の様々な出会いや別れの中で私は、
確実に支えられている って思う
今ある命の尊さと、あなたのこと 忘れません
心から感謝申し上げます
合掌
読む前になんでか…、ぴん ときた
何回も通ってくださったお客様の奥様から
昨年、亡くなった
とのこと
ユッタイクワッタイに通ってくださっていた頃、
既にステージ4で
大変な苦痛をともなう治療、闘病中で
体は痩せ干そっていらした
余命宣告された
または闘病中 と、いう方のご利用がとても多い年があった
そんなお客様に触れさせていただく度、
生きたいと思う人間の強さや、生死について
考えさせられた
同時に…、自分の弱さを痛感したり
生きていく上で、自分に与えられている役割って…とか、生きる意味とか…考えさせられた
まだ…、分からないことだらけやけど
死も生の一部
生まれたらそこに向かっていく
死しても、決して 無 ではない
亡くなっても、無くならない
何かを残してくれている
ある時から、私は死についてそう感じるようになった
仕事を通して、数々の様々な出会いや別れの中で私は、
確実に支えられている って思う
今ある命の尊さと、あなたのこと 忘れません
心から感謝申し上げます
合掌